EASYの歴史

inteview

1977年OZAWA氏は鎌倉にEASYというサーフショップをオープンしたのが全ての始まりだった。その後、EASYは各地に広がり、なかでもFUJI氏が鵠沼EASYを取り仕切り、多くのメンバーを集めた。当時、EASYを有名にしたのは「怖い!」というイメージ。

FUJI氏「確かに、怖かったかもしれないな(笑)。だけど、ルールやマナーを守らない奴らが多かったから、誰かがちゃんと注意をしなくちゃいけなかった。その度が過ぎちゃうこともたまにはあったかな(笑)。海は、みんなのものだからね、みんなで共有するにはやっぱりルールもマナーもしっかり守る必要がある。EASYは怖いって確かに言われてきたけれど、鵠沼のビーチクリーンを一番初めに始めて、KBCC鵠沼ビーチクリーンクラブを立ち上げた。それ以来活動を続けている。そして鵠沼で行われるサーフィンの大会についても窓口になっているんだ。だから、怖いだけじゃない!みんなで海を共有するために素晴らしい活動もしているんだよ」

ローカルサーファーは怖いというイメージを最初に作ったのはEASYかもしれない。でも、みんなの海で快適にサーフィンするために守るべきことに妥協はしないというだけのことなのだ。

easyEASYはどのように誕生したのか。鎌倉高校前駅と七里ガ浜駅の間の134号線にショップはオープンした。

OZAWA氏「気軽に楽しくサーフィンをしようよという意味をこめて、“EASY”と名付けたんだ。最初にFUJI君と会ったときは、海で喧嘩したよなあ。でも、すぐ仲良くなって鵠沼を取り仕切ってくれた。鎌倉と合同でビーチクリーンしたり、大会したり面白かったな。また、そういうことができるようになるといいね。今回再び立ち上げることによって、新しい人たちとの出会いも楽しみだよ。」

OZAWA氏が最初に名付けたとおり、EASYの基本的なスタンスは変わらない。そのスタイルは2007年に再び復活したEASYsurfにも引き継がれる。EASYsurfは、OZAWA氏、FUJI氏のバックアップのもとMikkoさんが立ち上げた。Mikkoさんは鵠沼・スエヒロを拠点に33年のキャリアを持つロングボーダー。様々な大会で入賞経験を持つ。彼の夢は、EASYを、サーフブランド、そしてサーフチームとして復活させることだった。そして、子供や若いサーファーを育て、次世代につなげていくことを目標としている。